ニューカマー
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1つ前の文章で私は、格差と貧困の違いを踏まえ、「貧困(下位の者の絶対値の低さ)」をより注視すべきと主張しました。その上で今一度、格差の問題について、以下に続けます。

キーワードは「メリトクラシー」です。
メリトクラシーとは、社会学方面によく出てくる言葉で「能力主義、実力本位」を意味します。
①人は出自によらず、教育などの機会の平等を得て、②才能を生かす努力を各自が重ね、成果に基づいた報酬を得るべきとの考え方です。
多かれ少なかれ近代社会は、「努力と成果と報酬を結びつける神話」で成り立っていると言えます。

ピケティの著作の有名なキーワードは、「r>g」です。
ですが、経済成長率(g)より資本収益率(r)が高いことは経済学では当たり前の常識らしく、多くのフツーの人々も、漠然とそのように感じてきたことでしょう。

「額に汗して働くより、金で金を生む方が儲かる。」という状況は、社会のありようとしてどうなのでしょう。それらは公平でかつ公正なのでしょうか。
おそらくその答えは、差異の程度、バランスの問題ということなのではないでしょうか。

「お金に色はない」と言いつつも、例えば、自分で稼いだ1億円と、親から相続した1億円。
意味や価値において、何となく違いがあるようにも感じられます。たとえメリトクラシーが幻想を含む神話だとしても、しばらくは「必要な共同幻想」と言えるでしょう。

努力に努力を重ねて成果を出すことよりも、富を持つ親の下に生まれてくる強運こそが強い意味を持つ社会では、おそらく発展の芽は摘まれ、長期的な意味で退廃を迎えてしまうように思います。

そのように捉えていくと、例えば個人にかかる「所得税」「消費税」「相続税」などの税金も、単に「必要な行政経費を賄う金集め」という意味だけではないことに気がつきます。
どこから、どの程度のお金を集めるかは、それそのものがある種のメッセージで、「価値を問い、価値を体現する極めて重要な行為」なのだと思い至ったりします。

~ニューカマー~

コメント

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u-jiro
u-jiro さんからのコメント
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先日、AERAの記事で、東京都中野区に無料の学習支援施設ができ、ある中学校3年生に九九を教えているという話題がありました。この生徒の家庭環境をみてみると小学6年の時に両親が離婚。母親に引き取られたが、思春期を迎えて衝突。中学2年で登校拒否になったとありました。確かに今日の社会において、経済的な格差が教育の格差にまで波及し、更には、その状況が再生産されていることを目の当りにするエピソードであるような気がします。

しかし、一方でそれを税だけで調整しようとしてもなかなか難しいという現状もあるでしょう。ピケティは投資収益率が高い要因に金持ちは専門のチームを作って高度な運営を任せられることが強みであると述べていますが、これは何も経済的なことのみではないような気がします。つまり、生まれ育ってきた環境をはじめとして無形の資産が十二分にあるからです。
真の平等を求めるとなると、金融資産の次は無形資産だとキリがないような気もしますね。有名人が子供をKOの幼稚園に入れたがる気持ちがわかります。
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shigeo
shigeo さんからのコメント
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「メリトクラシー」初めて知りました。「メリット(功績)」と「クラシー(支配)」をプラスした言葉なんですね、勉強になります(^^ゞ

出自の有利、不利は絶対にありますよね。資産もさることながら、容姿、頭脳、運動能力、性格も親や先祖から引き継いだものだとしたら、「個人のすべて」は出自に無関係ではないと思います。
しかし、これは考えても詮無きことではないでしょうか。嘆き始めたら切りがない(^_^;)

仮に、ピケティの言うとおりだと、努力するなんてアホだと、そんな「メリトクラシーが無い社会」になったら、どうなっちゃうんでしょうね? きっと、その中で密かに努力する奴が出てきて、のし上がっちゃうような気もしますわ。
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